同窓会の歴史


同窓会のおいたち


 関東支部同窓会の「おいたち」について、名誉支部長の中田章さん(1E)に伺いました。



関東支部設立の立役者・中田章さん


ー 関東支部同窓会は何時頃、どのようにしてできたのですか。

中田 昭和30年に故・水口利さん(専2/三和銀行)の音頭で5〜6名の卒業生が
   会食したのが始まりです。


ー 水口さんが会長のようなことをされていたわけですね。

中田 最初はそうです。だけど、水口さんは直ぐに関西に転勤されました。そこで、
   転勤のない私が世話人となって、毎年、春と秋に2回の会食をするようになり
   ました。

ー どんなところで食事されていたのですか。


中田 最初のうちは普通のレストランを利用しました。出席者の会費だけで運営する
   ので、赤字がでないようにするのに苦労しました。その後、同窓会に相応しい
   場所がいいということで、丸の内のプレス・クラブや寺谷弘壬さん(9P)の紹介で
   竹橋会館を使いました。最近では、月本正弘さん(9E)のお世話でNEC三田ハウス
   を使用するようになりました。


ー その頃には同窓会としての体裁も整ってきたというわけですね。

中田 そうですね。東京オリンピックのあった1964年には関東支部単独の同窓会名簿
   (279名)を発行しました。そして同窓会の役員も下のように決めたのです。

   支部長   中田 章 (学1E)
   副支部長 福井 修 (学2E)
          稲越 薫 (U2E)
   事務局長 寺谷 弘壬(学9P)
   事務局   中村 欽一(U5E)
          石川 三寿(U8E)
          月本 正弘(学9E)
          田山 映夫(学7E
)
          
ー 首都圏在住の卒業生は転勤が多いので名簿作りも大変だったのでは。

中田 その通りです。メンバーの出入りが激しく、情報収集が困難を極めました。
   そんな中で、1980年に原田廣毅さん(学17E)が事務局に加わってくれて、
   1年の間、多大の労力と時間を費やして、在京の卒業生名簿(560名)の
   作成に尽力してくれました。


ー 名簿が完成しても、同窓会の案内となると宛名書きだけでも大変な仕事では
  ないですか。当時はワープロやパソコンもなかったでしょうから。


中田 確かに、宛名書きは大変な仕事でした。当時はすべて手書きでしたからね。
   数百人でも大変なのに、1000人を超えるようになると、事務局の皆さんは忙しい
   中、手分けして分担してくれました。だけど、訂正済みの名簿は1部しかなくてね、
   時間に追われると私たち夫婦で夜なべ仕事に宛名書きをするというのが数年間
   続きましたね。


ー そういう努力を重ねてこられて、関東支部同窓会が本部から認知されるように
  なったのですね。


中田 そうです。1978年頃から同窓会本部の資金援助がいただけるようになりました。
   1994年には同窓生の数も1200ほどになりましてね。漸く本部のコンピュータで
   宛名のラベルを作ってもらえるようになり、手書きの苦労もなくなりました。
 

ー 関東支部同窓会がここまでになるのには、たくさんの方々のご尽力があったと
  いうことですか。

中田 私自身は昭和30年(1955)から平成13年(2001)まで45年間、神戸外大関東
   支部同窓会のお世話をしてきたわけですが、こんなに長く続けられたのも色々な
   方々の支援があったからです。特に、事務局長の寺谷弘壬さん(現・青山学院大
   名誉教授)には、組織作りから本部との折衝に至るまでお世話になりました。
   また、同窓会の2次会には後輩たちを自費で面倒をみてくれたり、関東支部を
   盛り上げてくれました。


ー 最後に、中田さん御自身もお忙しい方ですから奥様の御協力も並大抵では
  なかったと思われますが。


中田 そうですね。私も海外出張が多く、仕事が忙しい時期と重なりましたからね。
   家内が私に代わって名簿の管理から夜なべ仕事まで45年間もよく頑張って
   くれました。ひょっとすると、表面には出ませんが関東支部立上げの最大の
   功労者かもしれませんね。


ー ありがとうございました。



飛躍の引き金「岩戸会」

 神戸外大・関東支部同窓会が人数的にも大きく飛躍した裏には、その原動力となった
「岩戸会」の存在があります。
 岩戸会は、岩戸景気に湧く昭和35年に卒業した学9EAの同窓生が卒業と同時に設立
した結束力の強い会です。岩戸会設立の背景や関東支部同窓会との係わりについて
設立当時の発起人・月本正弘さん(9EA)に伺いました。

ー 先ず、岩戸会誕生の経緯を少し説明願います。

月本 私ども9EAのクラスは入学当初から
   スポーツの面で優れた能力を発揮しました。
   入学直後の体育祭では、100m競争から1500m
   までリレーも含めて全種目に優勝。もちろん、
   9EAが総合優勝です。これは大学生活の4年間
   毎年続きました。クラスは大いに盛り上がり、
   結束力も高まりました。そこで、卒業後も力を
   合せて新しいことに挑戦することを誓い合って
   岩戸会を結成しました。


ー そうすると、岩戸会のメンバーは9EAの
 クラス全員ということですか。


月本 昭和35年3月卒業の学9EA全員です。遅れて卒業された方1名を加え計31名。
   その後、4名が亡くなられ、現在は27名。関西15名、関東12名でそれぞれ女性
   1名がいます。

ー 関東地区には半数近くがおられるのですね。その方々が関東支部同窓会を盛り上げて
  こられたわけですか。

月本 そうです。先ず、同窓会への動員についていえば、2002年の第40回同窓会では、
   岩戸会メンバーが中心となって、運動部OBに声をかけ記録的な106名の参加者を
   得ました。その後は、この数字には及びませんが、従来の倍以上の出席者数が
   続いています


ー 現在はどういった活動をされておられますか。

月本 2002年の秋に岩戸会が中心となって第1回の関東支部ゴルフコンペを行いました。
   これは現在も続いていますが、今は、岩戸会以外のメンバーも積極的に参加されて
   います。名誉支部長の中田さんも来られますよ。
   ゴルフだけではなく、新年会や暑気払い等、定期的な懇親会もやっています。


ー 岩戸会・関東のメンバーは今でも12名ということですか。

月本 いいえ。今は、拡大岩戸会と称して9回生全員に声をかけています。また、関東
   だけに捕らわれず、関西との合同旅行や懇親会も2年に1度のぺースで続けて
   います。関東の幹事を下陸英明さん、関西の幹事を赤松正光さんが務められ、
   緊密に連絡をとりあっています。

ー なるほど、岩戸会の結束力が外大・関東支部全体に拡がってきたということですね。

月本 関東支部だけでなく、関西も合わせた広がりになればよい。それが、私たちの
   願いです。



岩戸会・横浜でのスナップ


ウィメンズくらぶ誕生で   女性会員急増

 2006年の同窓会に出席した人たちは驚いたことでしょう。こんなにたくさんの女性会員が
参加した会合はこれまでなかったからです。実は、その裏には、「関東ウィメンズくらぶ」の
誕生があります。
 それでは、最後に「関東ウィメンズくらぶ」代表の
 藤岡佐恵子さんに登場願いましょう。
            


ー 関東支部同窓会では昨年(2006年)から急に
  女性の参加者が増えましたね。これには
  ウィメンズくらぶの果たした役割が大きいと
  聞いていますが・・・・・


藤岡 そうですね。関東ウィメンズくらぶが出来た
  のが 2006年ですから、丁度、符合します。

ー 「関東」というからには「ウィメンズくらぶ」の
  本部は神戸にあるのですか。


藤岡 そうです。神戸本部のウィメンズくらぶは
   10年以上前にできました。私ども関東の方は
   出来たばかりなので、お姉さんのような存在
   です。去年の秋の神戸くらぶの総会には私も出席しました。
   また、今年の関東の交流会には楠丘会ウィメンズくらぶ代表の原和美さんも
   駆けつけてくださいました。今後どんどん交流していきたいと思っています。

   → ウィメンズくらぶ本部のHPをみる


ー そもそも、関東ウィメンズくらぶ誕生のきっかけは何ですか。

藤岡 それが偶然というか、偶々色んな幸運が重なり合ってできたのです。第一、私は
   それまで関東支部の同窓会には出席したことがなかったのです。2004年に初めて
   参加したのがきっかけで・・・・


ー どうして、また、参加しようと思われたのですか。

藤岡 ああいう会合は殆ど知らない方ばかりで、一人で参加してもつまらないですよね。
   2004年に私の職場に、偶々、神戸外大の後輩の方が入ってこられて・・・二人で
   出席してみようかと・・・・


ー それは奇遇ですね。藤岡さんは、確か、財団にお勤めでしたよね。

藤岡 はい、財団法人・日本青少年文化センターというところです。そこに、西村朋美さん
  (学49P)が入ってこられました。積極的な方でたちまち意気投合しました。


ー そうですか。で、お二人で同窓会に参加されて、如何でしたか。

藤岡 女性の出席者は多くありませんでしたが、何人かの方と交流ができました。その
   輪が拡がっていって、7名の発起人が集まり、関東にもウィメンズくらぶを作ろう、
   ということになりました。


ー 7名の発起人が女性会員に呼びかけたわけですね。それで、集まりましたか。

藤岡 昨年、第1回の交流会をもったのですが、有り難いことに22名の方が参加して
   下さいました。


ー その第1回交流会が実質的には関東ウィメンズくらぶの発足というわけですか。

藤岡 そうです。詳しいことは、「関東ウィメンズくらぶ便り」を寄稿しますので、そちらを
   御覧下さい。

   → 関東ウィメンズくらぶ便りをみる

ー ありがとうございました。





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