第1回の取材は文藝春秋社・社長の平尾隆弘さん(学19EC)です。平尾さんは記者時代には
インタビューが得意。プロのインタビュアーにインタビューするので内心ビクビク。緊張して紀尾井町の
本社を訪問しました。だけど、平尾さんがスモーカーだと分かり、愛煙家の管理人はとりあえず一服つけ
ました。お陰で少し落ち着いて、インタビューに入ることができました。           

                       

ー 平尾さんは 1946年、大阪生まれですね。子ども時代はどんな少年でしたか?

平尾 子供の時から本が好きでした。それと、小学校時代には、NHK大阪の児童劇団に入っていました。
   自宅は吹田にあったのですが、劇団に通う途中、電車の中ではいつも本を読んでいました。


ー どんな本を読まれていたのですか。

平尾 講談社の「世界名作全集」や貸本屋で借りた伝記もの、小説、漫画、…いろいろです。

ー 小学校時代、映画に出演されていますね。確か、谷崎の「猫と庄造とふたりのをんな」でしたね。

平尾 NHK所属の劇団なので、そういう機会がありました。「猫と庄造」ではキャストに名前がでました。
   「空き地の子ども」という役柄です。主演の森繁久弥さんと台詞のやりとりもありましたよ。

ー へぇ〜、どんな台詞だったか覚えておられますか。

平尾 庄造がネコを捜しに空き地にやってくる。そこに私が居て、大阪弁で話しかけるのです。
   「オッサン、何さがしとんねん?」
   「ネコをさがしとるんや」
   「オッサン、アホちゃうか」
    と、まあこんな具合です。

ー 天下の大スターに役の上とはいえ、すごい発言をしましたね。あの映画は私も観ました。芦屋の
  浜で森繁さんがネコを抱いて横になっている場面が印象的でした。周囲に土管が転がっていて、
  「アッ、あそこや!」と思いました。


平尾 映画の舞台は芦屋でしたが、空き地のシーンは東京の撮影所で撮ったのです。小学生の私は
    お祖母ちゃんに連れられて急行列車で遠路東京まで行きました。当時は10時間近くかかり
    ましたね。

ー そうですか。東京での何か面白いエピソードはありますか。

平尾 私が立小便をするシーンがありましてね。カメラが回りだしてうまくオシッコが出るかどうか心配
    だったのですが、お茶をたくさん飲まされていたので無事に出ました。ホッとしましたね(笑)。

             
            
                (livedoor Blog 「ぶらり道草ー幻映画館」より)

ー 高校は茨木高校でしたね。高校時代にも演劇は続けておられましたか。

平尾 卓球部に入りました。それに、小学校の頃から新聞作りに手を出し、自分でガリ版刷りの学級新聞を
    作ってクラスの皆に配っていたのです。高校では、同人雑誌を作りました。小説やエッセイ風のものを
    皆に書いてもらい、やはりガリ版で手書きして、刷り上ったものをみんなに売っていました。

ー なるほど。商魂逞しい文学青年へと成長していくわけですね。次はいよいよ神戸外大ですね。

平尾 第一志望は京都大学でしたが落ちました。浪人していたので後がない。2期の国公立大学を
    探して神戸外大を選びました。大阪外大は地理が必修だったので、日本史と世界史で受験できる
    神戸外大にしました。それと、好きな女の子の姉さんが神戸外大に通っていたというのもあります。
    この人は阪大にも受かったのに、神戸外大を選んだ。

ー 神戸外大に無事入学されたわけですね。大学時代は一口で言って、どんな外大生でしたか。

平尾 優等生にはほど遠かったですね。成績は中くらい。学業よりもむしろ山登りに熱中していました。
    ワンゲル(ワンダーフォーゲル)部に入ったのですが、ここの居心地は最高でした。
    25〜26人の部員でしたが、今でも親しく付き合っています。学校全体としてはとてもいい雰囲気で、
    神戸外大に入ってよかったと思います。

                         

ー なるほど。ワンゲル中心に学生生活を送られて、いよいよ就職になるわけですが、なぜ文藝春秋を
  選んだのですか。

平尾 選んだというより自分の志望は出版社しかなかった。大学の就職相談で出版社は無理だと言われ、
    旅行会社を受けて大手の2社に内定しました。それで少し気が楽になって、履歴書をたくさん作って
    上京しました。ワンゲルの先輩宅に居候して出版社を回ったのです。

ー それで、最初に文藝春秋社を。

平尾 最初は「みすず書房」でした。なかなか採用試験を受けるところまではいかず、難しいなぁと思い
    ながら、たどり着いたのが文藝春秋社でした。後には引けない覚悟でした。

ー 紹介者か誰かいたのですか。

平尾 いえ、誰もいません。採用担当の女性が「ウチは指定校制だから、神戸外大はダメです」と、極めて
    冷静な対応でした。

ー 
それで…

平尾 「私は真剣に貴社に入りたい。それなのにチャンスを与えないのはフェアじゃない」と粘りました。
    すると、彼女が言うには「社内に誰か知人がいれば受験できます」。で、「私は、今、あなたと知り
    合った。紹介者になってください」とお願いしたのです。

ー かなり強引ですね。普通は指定校が出た時点で諦めますよね。

平尾 そう。頭のいい人は見極めが早いでしょ。ボクは秀才じゃないから諦めず、ダメモトで粘ったような
    気がします。

ー で、彼女は引き受けてくれたのですか。

平尾 いや、暫くお待ちくださいといって、別の男性を連れてきた。そして、その人が身元引受人になって
    くれたのです。中野さんという方ですが、今でもその方には感謝しています。

ー 強行突破でしたね。入社してからはトントン拍子。

平尾 まったくそんなことはありません。自分の力量不足に自分で嫌になり、それが会社への違和感を
    増殖していたと思います。何か表現したいとも考えて、『宮沢賢治』という本を国文社から出版しました。

ー いつごろから違和感はなくなったのですか。

平尾 30代半ばからですかね。私は、仕事も職業も、何度も何度も選び直すものだと思います。「天職」などは
   ない。世襲制の仕事でもどこかで選びなおして「天職」にするんじゃないかな。だいたい、子役で挫折する
   人が多いのは、思春期に職業を納得して選び直せなかったからです。
   経験者としてそう思うし、出版社志望者としても、好きなだけではダメで、やはり自分の中で仕事を選び
   直したのだと思います。

ー その後、1992年にクレア編集長、1995年に週刊文春編集長、1997年には文藝春秋編集長と
  編集の要職に就いておられますね。


平尾 クレアは初めての女性誌経験で楽しかったし、週刊文春では地下鉄サリン・オウム真理教の事件、
   文藝春秋では少年A=酒鬼薔薇聖斗事件に遭遇しました。

ー 「少年A検事調書」の全文掲載に踏み切られましたね

平尾 ええ、検事調書掲載に当っては、社の上層部からは反対が強かったし、もし掲載が事前に知れたら
  「出版差し止め」になる可能性もあると言われました。私自身は絶対に掲載したいし、責任も引き受ける
   つもりでしたが、とにかく神経を使いました。以前から親しかった立花隆さんに相談して、検事調書掲載の
   意義を書いていただきました。

ー 紆余曲折があって、2009年には代表取締役社長。社長にまでなったポイントは何だと思われますか。

平尾 いやー、他人の評価だからよく分からないです。出版社はオーナー会社が多いでしょう。弊社の
   場合はそうじゃない。歴代、サラリーマン社長です。だから、「とうとう社長になったぞ」みたいな感じは、
   本人はもちろん、社員のほうにも全然ないと思う。強いて言えば「総責任者」で、すべてを引き受ける
   心積もりがあるだけです。自分がいないと会社が困るというのは大きな間違いで、そういう体制を作る
   ひとはダメなんですよ。私は、自分がいなくても会社が利益を上げ、スムーズに事が運べるような仕組みを
   作るのが目標です。「一刻も早く、いなくなれ」と思われるのも嫌ですけどね(笑)。


                   


ー ところで、平尾さんは「日本文学振興会」の理事長をされていますね。芥川賞選考の最高責任者でもある
  わけですが、最近の芥川賞の受賞作品についてどう思われますか。


平尾 面白いんじゃないですか。

ー そうでしょうか。私の独断と偏見からすると、去年の西村賢太さん、今年の田中慎弥さんの作品などは
  アウトローの独りよがりのようなところが目立つし、それに何といっても描写が生々しくて汚い。


平尾 それは読者である中村さんの感想ですから、私があれこれ言うことはないのです。ただ社内での
   選考のプロセスと、選考委員の先生方の観点は、個人の好みを超越する必要があります。
   ケインズの有名な「美人投票」の比喩がありますね。美人コンテストがあって自分が審査員だとすれば、
   投票の方法には2種類ある。ひとつは「自分が好きな、美人だと思う人に投票する」。もうひとつは「別に
   好きなタイプとは言えないが、このメンバーでは、この女性が1位に選ばれるだろう」と思う人に票を入れる。
  「好み」とは別の、ある種、客観的な選考基準が芥川賞にも働くわけです。

ー 個人的にはもっとオーソドックスな小説に惹かれます。

平尾 でも、内容だけ取り出すのではなく、会話、風景、人物の描写力、形容詞や比喩を用いた文章力、構成力…
   などを見ていけば、西村さんも田中さんも優れた作品を書かれていると思います。
  「量が質に転化する」というのかなぁ、評価の基準がたくさんあれば、自ずから「いい作品」の見方は一致して
  いきますよね。作品の新しさみたいなものも浮かび上がってくる。

ー 新しさといえば、文藝春秋には新しいものがない。読者層も高齢者が主体。老齢化の世の中で、
  今後、今の若年層をひき込むことができるか、という意見もありますが…


平尾 将来については楽観はしないけれど、悲観的でもありません。私が入社したときから、「文藝春秋の読者は
   高齢化している」と言われ、40年が経過して未だに部数を維持しています。高齢者というから先がないような
   気がするけど、「大人」が支持するメディアは必要でしょう。
   「新しい」という言葉はも諸刃の剣なんです。「新しい」だけでは、雑誌も書籍も、巷に溢れかえっている
  「情報」に及ばない。出版社の役割は、情報を整理、あるいは「問題提起」の形で、本当に大切な情報の
   意味を提起することです。もうひとつ、書き手の方たちを支えながら、主として文藝の魅力である「物語」の
   力を世に送り出す役割もありますね。「編集力」というのは、その場で創意工夫する力を指しています。
   それはエディターに限らず、社業のすべての部署に必要なので、社員みんなが「編集力」に自覚的であって
   ほしい。要するに、「編集力」が健在である限り、文藝春秋は大丈夫だという話ですね。

ー 最後に仕事を離れて、趣味や御家族のことをお聞かせください。

平尾 一番の趣味は山登りになるのかな。日本百名山の半分近く登っています。最近は、年に一度、、
   ワンゲルの友だちと一緒に登山と温泉に行くくらいなので、リタイアしたら余裕を持って行きたいです。
   ゴルフはやりません。とにかく歩くのが好きで、糖尿病治療も兼ねてそこらじゅう歩いています。世田谷で
   暮らしていますが、駒沢公園はよく歩きますよ。家族は子供3人。長女は嫁ぎましたが、30歳を超えた
   長男と次女は独身で、目下4人暮らしです。

ー 糖尿病だとおっしゃいましたが、タバコはいいんですか。

平尾 タバコが糖尿病に与える悪影響よりも吸わないことで溜まるストレスの方がもっと悪いと医者に言われて
    います。

ー それは医者じゃなくて御自分でつけた理屈でしょう。

平尾 鋭いことをおっしゃいますね(笑)。

ー 今日は、お忙しいところをどうも有難うございました。



〔インタビュー後記〕

 アポイントは30分の約束だったが、1時間半も話してしまった。お忙しいはずなのに、平尾さんは嫌な顔一つせず、最後まで付き合ってくれた。学校の先輩という配慮もあるだろうが、お互い愛煙家で、タバコを吸いながらの議論が心地よかったこともあるはずだ。これもタバコの効用かもしれない。

 平尾さんは小さい頃から本の虫だったということだが、さすがに作家の知己が多い。恐らく、日本の著名な作家の殆どは御存知だろう。この日も、早朝に吉本隆明氏が亡くなられたが、早速弔電を出しておられた。

 文藝春秋社のような一流の出版社のトップが神戸外大の出身というのは実に心強い。日本の知識層をリードする月刊誌「文藝春秋」を愛読する者の一人として、平尾さんの今後ますますの御活躍を祈りたい。

                             (2012年3月16日取材)



                                   
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