お邪魔しま〜す 第2回

 今回紹介するのは、陶芸家の濱村祐子さん(旧姓:木戸/学31EB)です。弟さんの木戸良平氏と一緒に
銀座5丁目の ACギャラリーで開催中の「木戸良平・濱村祐子 二人展」の会場に伺いました。

 木戸良平さんは岩手在住で会場には来ておられませんでした。木戸さんは外大OBではありませんが、
なかなか面白い経歴の持ち主。ICUで国際関係学を専攻された後、縁もゆかりもない岩手県に移り住み、
岩手日報の記者に。その後、著名な建具職人に弟子入りして木工の世界へ。中でも至難とされる船箪笥の
制作に取り組み、殆ど独学で技術を習得し箪笥職人として自立。現在、岩手県の寒村で箪笥工房「はこや」の
店主として活躍中。(「はこや」については→ こちら。)

船箪笥(ふなだんす): 江戸末期から明治にかけて商人が船に設置した金庫のようなもの。隠し引き出し
              などのカラクリがたくさん仕込んである。(作業の詳細は→ こちら。)

また、木戸さんは世界の「グッチ(GUCCI)」のオフィシャルブログでも「未来に受け継ぎたい手仕事」として
紹介されています。(→ こちら

 ー お邪魔しま〜す。なかなか御盛況ですね。二人展の企画は初めてですか。

濱村: このギャラリーでやると来客が多いのです。二人展は今回初めてです。弟の木工と私の陶芸のもつ
   色調や雰囲気がよくマッチするので、ギャラリーの方から一緒に展示することを勧められたのです。

 
ー 弟さんのことは後ほどお尋ねするとして、濱村さんの御出身は?

濱村: 長崎で生れました。父が転勤族だったもので各地を廻りました。高校は大阪の天王寺高校です。

 
ー 神戸外大へはどうして?

濱村: 本当は美大に行きたかったのです。だけど、美術では就職できない、英語なら就職が楽だろうといわれて
    外大に入りました。でも、英語はさっぱりなんです。不真面目な学生でした。美術部と鉄道研究会では
    真面目に活動していましたが。

 
− 美術がお好きで、卒業後すぐにその道に入られたのですか。

濱村: いえ、卒業してすぐに大阪で就職しました。香港ベースの外資系船会社です。そこで間貿易関係の仕事を
    しました。

 
− ほう、それで、陶芸の道にはどうして?

濱村: 全くの偶然なのです。社内結婚したのですが、主人ともども転勤になって東京に来ました。子どもが出来て
    28歳で退社しました。暫くは専業主婦で自治会の役員などをしていました。ある時、自治会で陶芸教室を
    開こうということになり、先生探しに奔走しました。ある先生の工房で焼き物の制作を拝見して、とても興味が
    湧き自分でもやりたくなったのです。始めてみて、たちまちトリコになりました。20年以上前のことです。

 
− なるほど。その後ずっと陶芸の道を歩まれたわけですね。陶芸の魅力は一口に言ってどんなどころですか?

濱村: 自然の力ですかね。使うものは、土、水、木、火と、すべてが自然のもの。でも、土が変身するのです。土を
    形にするところまでは大体思い通りにできても、窯に入れてしまうと後は意のままにはなりません。火に委ねる
    というか、自然の力に任せるほかはないのです。焼きあがってみると、次はもっといいものを作ろうと、追求欲が
    出てきます。

 
− そうなんですか。ところで、此処に展示されているたくさんの作品の中で、自信作というか、これは上手く出来た
   という作品はどれでしょうか。


濱村: 自信作というのはないのです。良く出来たと思っても、次にはもっといいものができるはずだ、と思い返す。
    恐らく、永遠に追求を続けるのではないでしょうか。私は元々飽きっぽい性格なのですが、陶芸は決して飽きる
    ことがない。そこが最大の魅力でもあるわけです。

 
− 陶芸のプロセスを大きく分けると、「土をこねて造形する」、「絵付けや釉薬で化粧する」、「焼成する」の3段階が
   ありますが、濱村さんが最も力をいれるのは焼成工程ということになるのですか。


濱村: もちろん、その3工程は密接に関連しあっています。土の選別、釉薬の選定などは焼成に大きく影響します。
    でも、焼成工程だけは自分でコントロールできない、火に委ねる必要があります。窯出しするときは玉手箱を
    開けるような緊張感があります。

 
− 焼成と一口に言っても、酸化焼成、還元焼成などありますね。

濱村: 私が力を入れているのは炭化焼成と言われるものです。窯の中にサヤを入れ、サヤの中に作品と炭を入れて焼成
    します。この時、空気(酸素)の量を調整するのがポイントで、還元雰囲気で焼成すると「月の世界」の色が出ます。
    酸化雰囲気では「地球の大地」の色になってしまいます。私の課題はは絵付けと焼き色のベストマッチを探求する
    ことです。

会場で船箪笥の
カラクリを説明する
濱村さん

炭化焼成で出来上がった
徳利とタンブラー

 − ところで、濱村さんの得意分野というのはどんなものですか。

濱村: 得意分野といえるのかどうか、一応、専門はビアマグということになっています。

 
− ビアマグですか。ドイツなどでも装飾品としてのビアマグはたくさん作られていますね。

濱村: 私のは、装飾というより実用のビアマグです。ビールを美味しく飲むためのジョッキーやタンブラーを作っています。

 
− ビアマグのコンテストのようなものがあるのですか。

濱村: はい、札幌市の芸術文化財団が主催する「ビアマグランカイ」という公募展が 1997年から毎年開催されて
います。
   ジョッキーやタンブラーなどビールを飲むための容器の展覧会で、メインの会場は「札幌芸術の森」ですが、全国
   巡回展もあり入選作品は各地で展示ます。

 
− 濱村さんも毎回出品なさるのですか。

濱村: 毎回というわけではありませんが、2006年からほぼ毎年応募して入選を頂いています。お陰で恵比寿三越などで
   カップの取扱をしていただくようになりました。でも展覧会自体はスポンサーの関係で今年が最後になります。
   

 ー 展示作品には昔の船の絵が多いですが、何か狙いがあるのですか。

濱村: 今回、弟の船箪笥と一緒の展示なので、船箪笥が設置されていた北前船(きたまえぶね)の絵柄をヒントに
    色々な帆船を描いてみました。

− なるほど。江戸時代から明治にかけて全国で活躍した船ですね。
   通常の廻船ではなく、貨物を船主が買い取り、消費地で販売する
   廻船のことですね。


濱村: そうです。古くは近江商人などの豪商が使っていました。こうした
   船には必ず貴重品を保管しておく金庫に相当する船箪笥が備えて
   あったと言われます。

 
ー どんなものを保管していたのですか。

濱村: 証文、通行証、それに大判、小判といった現金も入っていたと
   思います。

 
− 箪笥ごと盗まれたら大変ですね。

濱村: 簡単には持ち出せないようになっていたと思いますよ。それに、
   船箪笥の重量はかなり重いのです。40cm立方ほどの船箪笥で
   大体50kgくらいあります。

 
− 船が遭難したときは船ごと海中に沈む?

濱村: それが上手く考えられていて、前面の金具が重いので、前面を
   下にして海に浮くようにできている。しかも気密性が高いので、
   船箪笥さえ回収できれば中の貴重品は無事なのです。

北前船(Google頁から借用)

 ー それでは、弟さんのことについて少しお伺いします。非常にユニークな経歴をお持ちですが、元々、工芸がお好き
   だったのですか。


濱村: 弟は1歳違いの年子なのですが、小さいときから木が好きでした。ICUに入ってからは、大学の勉強の他に、
  サークル活動で、各地の民族文化を研究していました。そこで花巻の「早池峯神楽(はやちねかぐら)」に出会って
  岩手に取り付かれたようです。卒業後は岩手日報に勤めて、岩手の伝統文化を訪ね歩いたようです。そのうちに
  木工職人と出会い、元々木が好きだったので自分でもやりたいと…


 
− なるほど。工芸への愛着は木戸家のDNAですかね。

濱村: そうかもしれません。そもそも私に陶芸をやるように勧めたのは弟なのです。自分は箪笥職人になってしまい
   ましたが…


 
− 弟さんは完ぺき主義で、木材の加工はもちろん、釘1本にいたるまで全部一人でなさるらしいですね。

濱村: そうなんです。一般には、木工は木工職人、金具は金具職人、塗装は塗装職人が分業しているのですが、
   周囲に適当な金具職人が居なくて、弟は全部自分でやっています。根っからの職人ですね。弟の天職だと
   思っています。


 
− そうすると、船箪笥を1棹制作するのにどのくらいかかるのですか。それとお値段は?

濱村: 手の込んだものだと、注文を頂いてから2年くらいかかるようです。お値段も 200万円ほどしますが、手間と
   時間を考えれば決して高くはないと思います。


         

   会場に展示されていたこちらの船箪笥。¥1,950,000.-の        木戸さんが惹かれた早池峯神社の
   値札がついていた。                              お神楽を濱村さんがタイルにデザイン
                                              したもの。額縁は木戸さん作。

 
 − 濱村さんは日常の活動として陶芸指導などをやっておられるのですか。

濱村: はい、自宅のある東林間で「こねこねクラブ」という同好会を開いて20人ほどの仲間の世話役ををして
   います。


 − そうですか。これからもお元気で御活躍下さい。今日はお忙しい中をありがとうございました。



〔インタビュー後記〕
 
 約束の時間より早く会場に着いたが、場内はたくさんの来訪者で濱村さんは応対に大童。一旦、失礼して改めて
出直したが、来客は途絶えることはなかった。合間を縫って片隅のテーブルでインタビューしたが、長い時間を割いて
もらうことはできなかった。
 来訪者の中には外大時代のお友だちや同窓生もたくさん居て、さながら「関東ウィメンズくらぶ」の同好会のような
雰囲気もあった。
 濱村さんは、家庭と仕事を立派に両立され、しかも遠隔地の弟さんとも密にコンタクトされている。ファミリーで工芸の
道を進んでおられる。御本人も「自信作は永遠の課題」と言われているように、美への飽くなき追求を実践しておられ、
そのエネルギーを感じさせるに十分な存在感があった。   

                                     (2012年10月25日 取材)




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第1回: 文藝春秋社長/平尾隆弘氏(学19EC)  2012年3月取材

    




                                   
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ピッチャーには
船の絵が
描かれていました。