お邪魔しま〜す! 第3回

 第3回は西野元樹さん(学46P)に登場願います。西野さんは、1997年にロシア学科を卒業。蝶理に
入社。レアメタルの仕事に従事しました。レアメタル( Rare metal )とは読んで字のごとく「希少金属」で、
天然の鉱物として産出量が少なく、鉱石の純度も低い金属です。ニッケル、コバルト、タングステンなど、
30種類以上あります。近年ハイテク産業で広く使われるようになって注目を集めています。

 日本経済がどん底の2003年、各商社はコアビジネスへの回帰を余儀なくされましたが、蝶理も同様、繊維、
化成品などのコア事業に特化、レアメタル部門は外部に売却となりました。そこで、当時の部長が資金の一部を
提供し、レアメタル部門を蝶理から買い取る、MBO( Management Buy-Out )により独立させました。西野さんも
部長とともに蝶理を離れ、新しい会社に移りました。新会社は「アドバンスト・マテリアル・ジャパン(AMJ)」と
名付けられました。

 AMJはその後順調に成長を続け、当初は60〜70億円だった売上高を、レアメタル相場の暴騰もあって、
2011年には10倍の700億円にまで拡大させました。西野さんはAMJ社の中核トレーダーの一人として活躍
されていますが、実はもうひとつの顔がありました。それは、「みんなの党」衆議院千葉県第1区の支部長と
いう顔です。昨年末の衆議院選挙では残念ながら一歩及ばず落選しましたが、初めての立候補で 27,000票を
集めました。

 今回のインタビューでは、そうした転身の動機などにも焦点を当てて話を伺いました。

 

 AMJ社は溜池の46階建て超高層ビル「山王パークタワー」12階にあります。約束の時間より少し早く
訪問しましたが、西野さんは快く迎えてくれました。政治家を志すだけあって話し方も非常に爽やか。
率直で歯切れのいい受け答えで話が進みました。



ー 今日はお忙しいところ、時間を頂戴しましてありがとうございます。早速ですが、西野さんの少年時代の
  話からお伺いできますか?


西野: 出身は大阪府泉佐野市。関西空港のすぐ近くです。泉佐野は愛媛の今治と並んでタオルの2大生産地
  として有名ですが、ウチの両親も泉州タオル製造の下請けでヘム加工を家内工業としてやっていました。
  暮らしは決して楽とはいえず、兄は早々と進学をあきらめて、サラリーマン生活の後、釣り船の船頭として
  身を立てましたが、私はスーツにネクタイの仕事に憧れて、それなりに勉強して岸和田高校に進学しました。

ー なるほど。岸和田高校から更に神戸外大に進学されたわけですね。ロシア語志望はどうしてですか?

西野: 両親は私に大学まで出てほしいと希望していました。私は将来商社マンになりたくて、それには外国語が
  必須です。当時は東京なんてマッピラだと思っていたので、大阪外大と神戸外大に絞っていました。しかし、
  大阪外大は苦手の数学が受験科目でした。神戸外大は、数学は必須ではなく、センター試験は英語、国語、
  世界史で受け、2次は英語と小論文だけでした。
   ロシア語を選んだのは、今更英語でもないだろうというのと中国では未だに人民服でした。その点、ロシア、
  旧ソ連ですが、ゴルバチョフがペレストロイカを打ち出して、将来的に有望だと判断しました。

ー 外大時代はどんな学生でしたか? 部活はなにかやられていたのでしょうか?

西野: 決して優等生ではなかったですね。クラブは「フォークソング部」に入っていましたが、こちらも積極的に
  参加するというより、どちらかといえば幽霊部員でしたね。

ー 音楽はお好きなのですか?

西野: ビートルズに始まるバンド・ミュージックが好きです。今はスウェーデンのバンド、ロクセットにはまっています。

                               


ー それでは、ロシア語学習について聞かせてください。

西野: 恥ずかしながら、大学の授業にはあまり身を入れませんでした。だから成績は良くないです。私は語学は
  その国で実地に学ぶのが一番、だから大学での勉強は適当でよいとだと考えていました。そこで、4回生の時に
  「モスクワ言語センター」というところに1年間留学して、多少喋れるようになりましたが、非常に苦労しました。
  今、思うと大学でもっと真剣に勉強しておくべきでした。

ー ほう、それはどんな学校ですか?

西野: いわゆる公立の学校ではなく、民間ベースで営利目的の学校です。全寮制で20人ほどの生徒がいました。
  日本人は5人、後は韓国とかドイツから来た人たちでした。ロシア語はかなり進歩したと思いますが、本格的に
  上達したと思えるのは、やはり会社に入って仕事で使い始めてからですね。

ー それでは、入社後の話に移りましょう。まず、入社は蝶理でしたね。

西野: はい。当時の9大商社が希望でした。蝶理は経営再建中で、練習のために受けたのですが、結局、そこしか
  受からなかった。でも、入社してみると悪くはなかった。神戸外大の先輩もたくさん居るし、「6,000人の命のビザ」で
  有名な杉原千畝さんが、晩年、蝶理に勤務していたということも好印象を与えました。

ー でも、やがて蝶理を出ることになる…。

西野: 蝶理は経営の悪化から2003年にレアメタル部門を廃止すると決めたのです。レアメタルは日本のハイテクに
  欠かすことのできない材料です。将来有望な部門を取り潰されては敵わない。当時の部長が一大決心をして、
  私財を投げ打ち、銀行と共同でレアメタル部門を蝶理から買い取ったのです。MBOですね。その結果、翌年の
  1月に新会社AMJが設立されました。私も当然ながらそれに加わったのです。

ー なるほど。でも、専門商社とはいえ、ベンチャー企業です。最初は大変だった?

西野: その通りです。当初は不良在庫を山ほど抱えていました。それの売り先を探すのに必死でした。しかし、その年、
  最大の輸出国である中国が輸出制限を始めたのです。お陰で、翌2005年からレアメタルの国際価格は暴騰しました。
  レアメタルは圧倒的な売手市場になりました。今度は、供給元の確保に走り回りました。年間 100日以上海外に出張
  していました。

ー 行き先はロシア?

西野: ロシアと中国が主でした。カザフスタンなどにも行きました。

ー ロシアでは極東の山奥のタングステン鉱山で供給元を確保したわけですね?

西野: そうです。ウラジオストックから車で10時間以上かかるところにプリモルスク鉱山があります。此処です。(上の
  写真で手にしたパネルを示しながら)こんなところです。周囲は山ばかりで何もありません。鉱山の開発にはお金が
  かかります。そこで、我々がヨーロッパから掘削機などを調達して山元に支給する。代金は延払いや採掘した鉱石で
  支払ってもらう。そういったリスクを取って漸く原料の調達先を確保できるのです。

ー そうですか。でも、レアメタル価格の高騰で、そうした努力が報われたわけすよね?

西野: はい。AMJを立ち上げた当初は、精々、60〜70億の売上でしたが、2007年には340億、2011年には700億まで
  伸びました。

ー 丁度その頃ですか、本を出版されましたね。

西野: はい。2010年です。亜紀書房から「ひとり総合商社が行く」
   という本です。当時の苦労談が集めてあります。

ー 私も拝読しました。いろいろと大変だけど、よく頑張っているなぁ
  というのが率直な感想です。
  (本の詳細は
こちら。)

西野: ありがとうございます。つたない内容ですが、この本のお陰で
   色々と自己PRに役立ちました。

ー 本の中でも所々に述べられていますが、その頃からレアメタルの
  供給体制に危機感を感じておられますね。


西野: はい。特に中国の利己的な供給体制には危機感を感じました。
   そのことは日本政府にも十分判っていたはずです。ところが、
   何の手も打てなかった。

ー それが政界に打って出る動機となったのでしょうか。

西野: そうです。特に、菅内閣の2010年9月、尖閣に中国漁船が不法
   侵入した事件がありましたね。海上保安庁の巡視艇に衝突した…。
   あの事件を契機に中国は日本向けレアメタルの出荷を停止して
   しまった。その中には我々が世界中から確保したタングステン鉱石の
   委託加工品も含まれています。そんなものまでも一緒に、出荷が
   止まってしまいました。

 レアメタルが入らなければAMJとしてもビジネスにならない。

西野: その通りです。ことは中国の身勝手だけですまないでしょう。レアメタルが入らなければ日本のハイテク
  産業は立ち行かなくなる。日本政府はそれを重々承知しているのに何も手を打たない。これは政治の問題です。
  中国は政府自らが色々な政策を打ちます。だけど、日本政府はすべて民間任せ。これでは日本が危ない。

ー その政治に対する憤りが衆議院選挙への立候補を決断させた。

西野: そうですね。レアメタルの問題だけでなく、他にも貿易保険など、我々中小の商社が困っている問題は
   いくつもあります。そうした観点からも政治改革は待ったなしです。何とか、こうした状況に一石を投じたい、
   そんな思いでした。

ー AMJを退社され、不退転の決意で臨まれました。みんなの党から立候補されたわけですが、選挙戦はどう
  でしたか?

                 

西野: みんなの党には公募で入ったのですが、渡辺代表
  はじめ先輩諸氏には随分協力していただきました。とはいえ、
  潤沢な選挙資金があるわけでなく、選挙戦は駅頭演説が
  主体です。家族やボランティアの方々が手弁当で参加して
  くれました。

ー そして、惜しくも落選。でも、27,000票は大きな数字ですね。

西野: はい、27,089票。私を除くと 27,088人の方に支持して
   いただいたわけですから、それはもう感謝の一語です。

ー 27,000票の重みを感じるならば、再度挑戦もありうべし、
  でしょうね。例えば、今年の参院選とか…。


西野: それは 2万%ありません(笑)。今はAMJに復職した身です。
  レアメタル確保のために全力を尽くす所存です。

ー 将来的には?

西野: 今は全くの白紙ですが、再度挑戦したいという思いは
  あります。初心曲げずです。

ー AMJに復職されて、今度は新しい仕事をやられるのでしょうか?

西野: 社長からはシンガポール・チームリーダーを拝命しました。シンガポールを拠点にレアメタルの調達に
  当たることになります。

ー シンガポールはレアメタルとはあまり関係なさそうですが…。

西野: シンガポールは小さな国です。もちろん資源はありません。ですが、シンガポールをバッファーにして、
   例えば、中国から一旦シンガポールに輸入して、その後日本に輸出するといった方法もあります。
   シンガポールでは法人税は17%。規制も日本に較べるとはるかにゆるやかです。小国ゆえに学ぶことも
   多いと思います。

ー そうですか。ますますの御活躍を期待します。次に少し話題を変えて、最近、南鳥島の海底にあるレアアース
  資源が話題になっていますね。どう思われますか?


西野: 笑止千万というと言いすぎですが、とてもすぐに実現する話だとは思えませんね。2月末のNHKの報道
  では、中国の鉱石の4倍となる6,000PPMものレアアースが海底の泥に含まれているといわれていました。
  6,000PPMといえば 0.6%です。例えば、1万トンの泥を水深 5,000mの海底から引き揚げても採取できる
  レアアースは60トン。残りの9,940トンの泥は何処に捨てるのですか。海上で分離したものなら、また5,000mの
  海底に海を汚さずに戻すか、海洋投棄はできないのでバージで何処かに運んで処分する必要がある。その
  コストだけで膨大なものになるでしょう。当社の社長が、先日、東洋経済オンラインに寄稿していましたが、
  南鳥島のレアアース資源は中国を牽制するための報道かもしれません。しかし、中国側もそんな報道には
  騙されないでしょう。寄稿記事の詳細は→ こちら

ー 私も同意見です。資源があるということだけでコスト無視で採取するなら、リチウムだって海水に無尽蔵に
  含まれています。何も輸入しなくても海洋国日本には無尽蔵のリチウム資源があることになりますから…。
  次に、西野さんのブログを拝見していると、座右の銘に秀吉の辞世の句が登場しますね。少し説明願えますか?


西野:「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」ですね。西野元樹という人物を表わす
  キャッチコピーとして「右手にソロバン、左手にガマン、背中にロマン」というのがあります。秀吉の辞世の句には
  ガマンとロマンが凝縮されているように思うのです。更に、私の郷里、大阪への郷愁も如実に表現されています。
  大好きな句です。

ー どうもありがとうございました。最後に御家族のことをお伺いしてもよろしいですか?

西野: 妻と娘2人です。妻は蝶理時代、部長秘書をしていました。今のAMJの社長ですね。社内結婚です。娘は
   9歳と3歳です。他に妻の両親とも同居しています。選挙の時は大活躍してくれました。

ー 本日は長時間、ありがとうございました。

西野: こちらこそ、ありがとうございました。


〔インタビュー後記〕

西野さんはスリムで長身。しかもイケメンで弁舌も爽やか。昨年の選挙に当選していたなら、将来「みんなの党」の
顔になったかもしれない、そんな印象を与えた。私の質問にも淀みなく応じ、頭の回転も速いとお見受けした。
インタビュアーの私とは親子ほどの年の差。私は4人娘の父親だが、こんな息子が居れば心強いだろうと感じた。
政界に再挑戦するか、レアメタルの世界で更なる飛躍を図るか、それは西野さんの決断だ。私の無責任な希望を
言わせていただけるなら、是非、政治の世界に再挑戦してほしいと思う。
                                               (2013年4月5日 取材)

尚、西野さん自身のブログを御覧になる方は → こちらをクリックして下さい。
  

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