お邪魔しま〜す 第7回




 第7回は前回に続いてシニア・グル―プからアントレプレナーの西尾義彦さん(学12EA)を紹介します。西尾さんは 1963年、外大卒業後、メーカー、商社などを経て、1977年に起業を決心、当時まだ珍しい「輸入切り花の専門商社」を立ち上げました。借家の1階をオフィスにして、奥様と2人で洋ランの輸入からスタート。徐々に業容を拡大、時流にも乗って成長を続け、西尾さんの経営する 潟Nラシック社は、今や、業界のリーディング・カンパニー。

(注) この業界では、観賞用に供する生花のことを「花卉(かき)」と呼んでいる。花卉は部位によって、花物、葉物、実物に分かれるが、以下のインタビューで「切り花」とあるのは、主として「花卉の花物」を指す。

                                          


 2014年5月13日、西尾さんを 潟Nラシック社の本社に訪ね、いろいろお話を伺いました。千代田区麹町3丁目の一角にある洒落たサービス・オフィスのビル「BUREX」の6階にクラシック社がありました。



ー お邪魔しま〜す。お忙しいところ恐縮です。早速ですが、四国の御出身と伺いました。少年時代のことを少し教えてください。

西尾: 生まれたのは高知市内です。近くの小学校から土佐中、土佐高校に進みました。小学時代は腕白少年だったので、母がしょっちゅう学校に呼びつけられていました。

ー 何か、学外活動のようなことは?

西尾:「郵便友の会」というペン・パルの会で世話役のようなことをやっていました。この頃から外国に興味がありました。

ー なるほど、それで外大に進学されたわけですね。外大ではどんな学生でしたか?

西尾: 英語への興味は人一倍なので、月水金の午前中、専門科目の英語の講座には必ず出席。午後は殆ど授業には出なかったですね。

ー クラブ活動か何かを?

西尾: 部活はサッカー部と囲碁部に入っていました。あと、麻雀が好きでよくやりました。

ー 大学の近くに民家で畳の麻雀部屋を時間貸しするところがありましたね。あそこでやられたのですか?

                                            

西尾: あの部屋でもやりましたが、高学年になると腕をあげて六甲道駅前の雀荘に入り浸って、代打ちをやったこともありました。

ー 卒業後はメーカーに就職されましたよね。

西尾: ハイ。神戸に本社のある「バンドー化学」(当時は「阪東調帯」)という会社に入りました。そこで10年間勤務しました。その後、不動産会社と機械の貿易商社に2年ずつ勤務しました。

ー 1963年に卒業、10年間バンドー化学で、2年間は不動産会社、更に2年間は機械商社で働き、1977年に重大な転機を迎えるわけですね。

西尾: ハイ、切り花を扱う会社を起業する決心をしました。

ー 直接の動機は何処から?

西尾: 商事会社ではシンガポールに駐在していたのですが、取引先でランの栽培をされている方がいました。「Classic Orchid」という会社です。その人は欧米向けにランの輸出をしていたのですが、日本向けには全く売れない。日本でランの輸入販売をやってみないか、と持ちかけられたのです。当時、日本ではランの花は一部の高級品で、殆ど普及していなかった。これからは伸びるかもしれない。しかも奇麗な仕事だし…、と。

ー なるほど。それで起業を決心されたわけですね。でも、企業には資金が必要ですね。

西尾: 東久留米の自宅を売却し、800万円の資本金を捻出しました。

ー ほう、不退転の決意ですね。奥様とも相談されたのですか?

西尾: いえ、私は人には相談しない主義です。自分で決心し、決めてから家族に伝える。

ー 奥様は納得されたのですか?

西尾: もちろんです。新しい会社では家内も従業員ですから。

ー 起業された会社が「クラシック・オーキッド社」ですね。

西尾: そうです。シンガポールの Classic Orchid社の日本における受け皿という位置づけでした。

ー 立ち上げた時の新会社の業容はどんなものでしたか?

西尾: それは、会社なんて言えるものではありません。借家の1Fをオフィスにして、2Fが我々の住居。従業員も家内と私の2人だけ。ランの花を抱えて小売店を訪ねて歩き回りました。

ー そんなベンチャー企業が右肩上がりに成長するわけですね。

西尾: 当初は苦労の連続でした。つなぎ資金が必要なのに銀行は融資してくれません。でも、バブル時代に入ると資金が回り出して、業容も拡大してきました。ランだけではなく、他の花も扱うようになりました。そこで、1987年に「オーキッド」を取って、「潟Nラシック社」という今の名前に変えました。その頃から右肩上がりになってきました。家内も家庭に帰して、新卒を採用しました。その連中が今の役員クラスです。

ー その後、海外にも進出されますね。

西尾: 2006年にマレーシアに切り花の輸出会社をつくりました。現地の農家と栽培契約をして、本社に輸出します。2007年には、フィリピンで菊の生産農園を立ち上げました。こちらは現地消費が主です。

ー ひとつお聞きしたいのですが、花というのは寿命がある。御社では遠くはケニアやエクアドルから輸入していますね。当然、飛行機で運ばなければならない。でも、花にそれほどの運賃負担力があるのですか。つまり、高い運賃を払ってまでペイするのかということですが…。

西尾: よくそのことを訊かれますが、それが意外にもペイするのです。例えば、ケニアからバラを空輸すると、運賃は1本当たり20円につきます。でも、日本で冬場に同じバラを栽培するとなると、暖房用の重油代だけで50円/本かかる。栽培期間にも大きな差がある。例えば、胡蝶蘭を栽培して開花させるまでに日本では3年かかりますが、台湾で2年半栽培し、半製品のまま空輸、日本でわずか6カ月で開花させて鉢物に仕立て、マーケットに出荷する。まさに、時間と金の節約です。 よく言うのですが、日本で作る花は車に例えると超高級のベンツです。品質は素晴らしいがコストも高い。日本のコメと似ています。でも、コメの場合には輸入米には法外な輸入税がかかりますが、花には輸入税はかかりません。

ー 花の輸入税はゼロですか?

西尾: そうなんです。マーケット自体がそれほど大きくありませんからね。コメに較べるとほんとに微々たるものです。

ー 例えば、牛肉などは国産、アメリカ産、豪州産など区別して値段も設定されていますね。花の場合はどうなのですか?

西尾: 業界としてしてはそうしてほしいと要望していますが、花屋さんはやりません。我々から安い花を仕入れて日本産並みの値段で売ればメリットがでますから。

ー なるほど。もうひとつの疑問ですが、遠隔地から空輸したとしても物流に日数がかかる。花の寿命はそれほど長くないでしょう。

西尾: 切り花の輸入がペイするようになったのは、品種改良やポスト・ハーベスト、つまり収穫後の技術が向上したことが大きいです。花の寿命を長持ちさせるための栄養剤や薬品ですね。それと、ロジスティックスというか、物流ですね。我々の会社では成田空港の近くに大規模な集荷場を保有しています。ここで集荷と仕分け作業を手早くやる。

                                    

ー 寿命を長持ちさせる薬品で思いだしたのですが、オランダに「クリザール」という会社がありますね。西尾さんは何か関わりがあるのですか?

西尾: クリザール社の日本総代理店を20年間やりました。「クリザール・ジャパン」が設立されたので今はやっていません。でも薬剤は今でもクリザールからも購入していますよ。

ー それでは、切り花輸入業界の現状を少し御話し願えますか。その中での御社の位置づけも含めて…。

西尾: 同業社は全体で約 100社あります。大手は参入していません。我が社は昨年度実績で売上が68億円でした。資本金1億円、従業員は正社員が53名ですが、業界では最大手です。

ー 借家の1階で奥さんと2人で始められたランの輸入業が、今や業界のリーディング・カンパニー。そこまで頑張って来られた原動力は何でしょうか。

西尾: この仕事が好きだからでしょうね。何のために 37年間も続けてきたのか訊かれれば、「面白いから」でしょうね。金儲けが目的ならもっと違った方法がありました。

ー それに、花がお好きということもあるのですか?

西尾: いや、それは全く違います。花が好きではこの仕事には向きません。採用試験でもよく言うのですが、「花が好きだから我が社で働きたいという人は来ないでほしい。そんな人は花屋さんに行ってください」。つまり、我々の仕事は花を扱う仕事ですが、花を愛でるようになると却って失敗するのです。特定の花に思い入れて、マーケットが求めてもいないのにその花をたくさん仕入れたりする。
 


ー なるほど。それでは、この仕事の将来性についてはどのようなお考えをお持ちですか?

西尾: この仕事に影響を与える要因は3つあります。花の相場、為替相場、天候です。どれもコントロールすることは難しいが、リスクを最小限にする方法はあります。仕入れ先を多様化することです。これからは、我々がマレーシアで栽培しているように外国での生産を増やす傾向にあります。そうなると、輸入商社というより装置産業に近くなる。海外で生産して主に日本で販売する。資金力がモノをいうでしょうね。将来的には、全体として飽和状態になるのではないでしょうか。シェア争いが激しくなるでしょうね。

ー ところで、切り花の需要を伸ばすにはどうすればいいのですか。

西尾: それは一概には言えません。「花を愛でること」はその国の習慣や宗教、大きくいえば文化と密接に関係しています。日本人は、元々、プレゼントの文化といえば「花より団子」でした(笑)。文化や習慣が欧米化してくれば花の需要も伸びてくるでしょう。でも、それは我々のコントロールできる範囲を超えています。

ー 切り花の新製品といったものは何かありますか。

西尾: 最近では、長持ちする生花として、プリザーブド・フラワーなどが普及してきましたね。だけど、そんなものは切り花とは言えません。我々はもっと別な方法、例えば遺伝子組み換え技術によって本来ない色の花を提供することもやっています。下の写真はサントリー社が開発した、遺伝子組み換えによる「青いカーネーション」です。また、染色技術によってバラやカーネーションなどを染めることもやっています。マーケットの多様化に対応する一例です。

                                       


ー マーケットといえば、国産の切り花の市場に切り込むという戦略もありますね。

西尾: もちろん、あります。国産切り花の代表的な市場は葬儀市場です。これまでは、国産の白ギクの需要が圧倒的でした。確かに品質は素晴らしいが値段も高い。同業者間の競争で、葬儀の相場も徐々に下がってきています。輸入切り花が受け入れられる状況が来るのではないかと強く意識しています。

ー 現在 70億円の売上げですが、将来の事業規模のターゲットは?

西尾: 当面の目標は 100億円です。そのためには組織や人事、財務、経理といった企業の根幹部分を見直して行く必要があります。


ー ところで、これまで色々な経験をされたと思うのですが、何か失敗談やエピソードはありますか?

西尾: 失敗は山ほどあります。が、実はいちいち覚えていないのです。私は過去のことにクヨクヨしない性格です。「過去は振り向かない」というのがモットーです。だから旅行しても写真は撮らない。アルバムもありません。

ー 西尾さんは私と同期。そろそろ後期高齢者になりますが、何時まで働き続けるお積りですか?

西尾: この仕事は好きだから止められません。願わくば生涯現役でいたい。でも、次世代に受け継ぐことも考えて、長男を自社に入れました。今はまだ本部長クラスですが…。

ー 最後に御家庭のこと、日常のことなどを少しお聞かせ願えますか?

西尾: 家では家内と2人です。月曜から土曜まで出社しています。日曜は家庭サービス・デイにしています。子供は男の子が2人。孫は1人ずつで2人、男の子と女の子です。趣味は特にありません。ゴルフはやりませんが、スキーは年に2度ほど家内と一緒にやります。こう見えても愛妻家ですから(笑)。暇な時は家内と外国映画を観たり、1人でPC麻雀をやったり、偶に囲碁をやったりでしょうか。

ー 本日はどうも有難うございました。


[インタビュー後記]

 西尾さんが独立して起業を決意されたのは結婚10年目。当時、3歳半と6カ月の子どもを
抱えていたという。そんな状態で、自宅を手放して会社を立ち上げた。奥様には相談しなかった
とのことだが、決心を聞かされた奥様の心中はどのようなものだったろうか。
 もし事業に失敗したら、どうする積りだったのか。西尾さんに訊いてみたい気がしたが、仮に
訊いたとしても、「過去のことはいちいち振り返らない!」と一蹴されたに違いない。
 確かに、失敗するケースを想定したなら起業などできないだろう。アントレプレナーとしては
失敗を考えない。決めたことは、それに向かって突き進む。奥様も献身的に協力されたようだ。
 このサクセス・ストーリーの裏には、西尾さんの強い意志の力とそれを支える奥様の愛情が
あったに違いない。それにしても、後期高齢者の入り口に立って、「生涯現役でいたい」と明言
される西尾さんの強さはどこから来るのだろうか。
 わが身を振り返って、考えさせられるインタビューであった。   

                        2014年5月13日取材    管理人


第8回

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