第11回はウーマンパワーみなぎる地方議員。といっても、東京のど真ん中、中央区の区議、堀田やよいさん(学38P)です。

 堀田さんは現在2期目の中央区議。でも、生まれも育ちも京都東山です。それが、どうして東京の中央区議になったのか、その辺りを中心に聞いてみたくて、ウィメンズくらぶ/世話人代表の藤岡さん経由インタビューを申し入れました。堀田さんからは気軽にOKを頂戴し、8月23日、インタビューが実現することになりました。

 場所は、中央区役所と思いきや、日本橋の「ロイヤルパークホテル」。堀田さん地元の高級ホテルです。堀田さんは日頃からこのホテルをよく利用されているようで、この日はホテルの「ミーティング・ルーム」を手配くださったのです。

 このホテル、訪ねてみると箱崎のT-CAT(東京シティー・エアー・ターミナル)に隣接していました。現役時代、海外出張には必ず利用した場所です。そして、早起きが苦手の管理人は早朝のフライトだと、前泊でこのホテルを利用したことが何度かありました。

 そのことが分かって、ホテルの敷居が急に低くなったように感じました。20Fのエグゼクティブ・ラウンジで待つこと10分足らず、堀田さんが現れました。今年7月、椿山荘での同窓会で簡単な挨拶をさせていただいただけでしたが、とても気さくな方で、すんなりとインタビューに入ることが出来ました。

 堀田さんはとても明るく、朗らかな方で1時間余りのインタビューの間、笑い声が絶えなかったように思います。そして、区議さんだけにとても雄弁。同僚やお友だち同士で話す時はかなりお喋りなんだろうと想像しました。

                                      


ー お邪魔しま〜す。お忙しいところ、時間を割いていただいて有難うございます。事前に少し下調べさせていただきましたが、堀田さんは京都は東山の生まれですよね。少女時代は、一言でいうと、オテンバ娘だった?

堀田: そうです。生まれも育ちも京都・東山です。少女時代は、オテンバで活発。友だちもたくさんいましたが、孤独を楽しむ一面もありましたね。

ー と、いうと?

堀田: 小学生の女の子というと、大体、仲間同士で行動をともにするじゃないですか。トイレに行くのも一緒に行ったり…。私は、友だちのトイレにはついて行くけれど、自分が行きたい時は1人だけで行動していましたね。ある意味、自立していたということでしょうか。

ー 高校は関西創価高校に進まれましたね。ということは、当時から将来は公明党に入党して政治家になるという路線が敷かれていた?

堀田: いえ、そういうわけではないのです。でも、関西創価中学と高校には憧れていました。だから、創価中学も受験したのです。が、落ちました。

ー えっ、中学部なのにそんなに難しいのですか。

堀田: 隠れた難関校と言われています。でも、あの学校は遠いでしょ(
注:大阪府交野市にある)。当時、乗り物に弱く、電車嫌いでしたので、面接の時に「寮に入りたい」と言ったのです。すると、「こんな近くて寮に入る人なんて居ない」と言われた。「それなら結構です」と答えたところ、案の定、不合格でした。それで、中学時代にテニス部で鍛えて、高校受験では「通学」を希望したら念願叶って合格しました。

ー そうですか。で、外大時代も京都から通ったのですか?

堀田: そうです。遠距離通学には高校の3年間で慣れましたね。もっとも、家は長岡京に移っていたので、東山よりは近くなりました。だけど、2年生の時、今度は大学の方が六甲台から学園都市に逃げて行ったのでまた遠くなりました(笑)。片道、2時間以上かかりました。

ー 外大ではロシア語を選択。何か理由があるのですか?

堀田: 単なる天の邪鬼ですかね。他人がやらないから…。

ー それ、よく分かります。私の場合も大体そういう理由からロシア語でしたから。で、大学生活はどうでしたか?

堀田: ロシア語は難しかったですね。でも、真面目に勉強しましたよ。ソ研(ソビエト研究会)にも入って…。でも、私は留学生希望だったのに、そのチャンスがなくて…。その点、他の大学では留学生制度があって羨ましかった。

ー そうですね。今でこそ荻野スカラーシップが出来ていますけどね。我々の頃は、ロシア人との交流は専ら神戸港に入港するソ連の貨物船でしたね。声をかけると乗船させてくれる。偶には、ボリシチなんかが出てきたりして…。

堀田: 男の方だから出来る冒険ですね。我々の時はクラスに男性は4人しか居なかった。

ー えっ、男は4人だけ? 何ですか、それ。私たちの時には女性が2人しか居なかった。26年の間に…。正に隔世の感ですね。

堀田: 38回生が特に少ないのかもしれません。私たちの前後のロシア学科では確か男性は7人以上居たと思います。

ー それにしても、神戸外大は女子大に近づきましたね。この6月に70周年の記念事業で神戸に行った時にそう思いました。

堀田: 殆んどが女子だったので六甲の町の方からは『神戸女子外大』と呼ばれていました。

ーとこ
ろで、ロシア語以外の学科で、特に記憶に残るものはありますか。?

堀田: ありますね。浅井信雄先生の国際政治学がとても面白くて、毎週の講義が楽しみでした。

ー なかなかのタレントでしたね。私たちは習ったことはないのですが、東京の同窓会にはずっと顔を出されていました。

堀田: ええ、東京に出てからは時々お会いする機会もありました。同窓会でもお会いしたことがあります。その先生が、昨年、急逝されてとても残念です。可愛がっておられたネコちゃんもきっと寂しい思いをしているのではないでしょうか。ちょっと分かりにくいですが、右の写真、2013年の同窓会でのスナップです。浅井先生が手にしておられるスマホの写真がそのネコちゃんなのです。名前を「くうチャン」と言います。

ー 私もネコ派なので、くうチャンには同情します。それでは、外大卒業後のことに話を進めましょう。私の単純な疑問は、京都の東山で生まれて、京都で育った方がどうして東京の区議会で活躍するようになったのか、ということです。

堀田: 元々、東京願望のようなものはありましたね。内向き志向の京都人にしては珍しいかもしれませんね。目が外向きについているのでしょうね。

ー 1989年に卒業されて、最初のお仕事は地元ですよね。

堀田: ハイ、最初は大阪の小さな商社でした。4年で辞めて、京都のがん検診の検査会社に移りました。

ー 検査会社って、専門知識が要るんじゃないですか?

田: 実際に検査をされる方は有資格者ですが、私は健保組合を回る営業でしたから、少しの研修で直ぐに慣れました。

ー 仕事は面白かった?

堀田: とても楽しかったです。12年勤めましたが、後半の7年は小さな会社の役員もやらせていただきました。やり甲斐もありましたね。でも、病気にかかって手術が必要だったので、新人を教育して後継者をお願いし、円満退社しました。

ー その後ですかね。東京に出るのは。

堀田: ハイ。どうしても東京で働きたいという気持ちが強く、40歳を目前にして東京に出て新しい会社で仕事を始めたのです。2006年のことです。

ー 何の会社ですか?

堀田: レセプトの分析をする会社です。どのような疾病が多いか、どのような薬が服用されているかなどを分析し、保険組合や製薬会社に提案していました。京都で長らく医療分野で働いた経験が役に立ちました。

ー で、東京では中央区に住まれたというわけですか。

堀田: いいえ、最初は港区でした。でも、住んだところが何だか汚くて転居したのですが、今度のゲストハウスが中央区日本橋浜町でした。

ー 公明党には何時お入りになったのですか。

堀田: 公明党には京都に居た時から入っており、政策を勉強し、支援活動を続けていました。

ー 区議の初当選は2011年ですよね。

堀田: ハイ。中央区に住み始めて2年経った頃、議員をやってみないかとのお話しをいただきました。まさか自分が、と思いましたが、常々『人のお役にたてる生き方をしたい』と願っていました。議員の仕事は正にこの生き方を実現するものではないだろうかと考えてお受けしました。

ー 昨年の中央区議会選挙の結果を拝見したのですが、公明党は実に上手く票の配分をされていますね。議員総数は30人で、自民党が14人、公明党が4人居る。公明党は4人の候補が全員当選したが、自民党では落選候補が1人いる。

堀田: 公明党の場合は地区によって票分けしているので、結果的にはバランスのとれた獲得票数になるのでしょうね。

ー 一方、30人の議員の中にはベテラン議員ももちろん居るわけですが、半数以上の16人が当選2回以下。だから、若い人でもそれほど遠慮することなく思い切った意見を口にすることができるのでしょうね。

堀田: そうだと思います。中央区議は若い議会です。議長は当選9回、副議長は5回のベテランですが、もう一つの議会三役である監査委員は当選2回の私ですから。昨年6月、監査委員を拝命した時は身の引き締まる思いでしたが…。

ー 堀田さんは、他にも消防関係のお仕事に積極的のようですが…。

堀田: そうですね。初めて選挙に出る時、地域の方々から『地域のために活動するなら消防団に入って』と言われ、当選後直ぐに入団しました。歴史と伝統ある日本橋消防団の第3分団の団員として、日頃の訓練、台風などの有事の際や歳末時などの警戒活動、地元地域や企業での防災訓練などに出動、従事しています。


       
           (日本橋消防団第3分団の皆さんと。前列中央が堀田さん)


ー 矢張り、議員にとっては4年ごとにある選挙は、大きな試練となるのでしょうね。

堀田: その通りですが、公明党では山口代表や太田前代表などが応援に駆けつけてくれるので嬉しいです。疲れが吹き飛んで、「よし、やるぞ!」とスイッチが入りますね。過去2度の選挙では『絶対に負けるわけに行かない』という思いで頑張りました。


  


ー 堀田議員の矜持は何でしょうか。

堀田: ひとつは『地域で顔の見える議員』です。区民の皆様との接触を心がけて活動する中、5年間で約1,000件の区民相談をお受けしました。ご相談、ご要望いただいたことが実現し、ご相談者の方が喜ぶ顔をみると、『人のお役に立てた』ことが実感でき、議員になって本当に良かったという思いが私の活動力の源になっていると思います。
 もうひとつは、『最高の常識人であれ』ということ。区民の皆様のご相談、ご要望を聴いて理解するためには、先ず聴く姿勢が大切です。高みからではなく、区民の皆様と同じ目線に立って、真摯な態度で話を聴く。そして、最高の常識人として皆さんのご相談、ご要望を正確に聴き取らなければなりません。

ー 最後に中央区議は堀田さんにとって一生の仕事でしょうか。

堀田: 現状では、他の選択肢は考えられませんね。中央区は現在人口急増中なのです。この中央区をより良い町、住み続けられる町とするべく、これからもしっかり働いて行く。そして、『応援して良かった』と言ってくれるような議員を目指して頑張ります!

ー 今日はお忙しいところを有難うございました。



  [インタビュー後記] 

 話している間も笑顔を絶やさない「聴き上手、話し上手」との印象を受けた。堀田さんのモットーである、「顔の見える議員」や「最高の常識人」であることを常に意識して、実践されているのだろう。

 しかし、その裏には強い意志が潜んでいるようにも思われた。本人は否定されたが、公明党に入って「人のお役に立てる仕事をする」というのは、幼い頃からの人生目標だったような気がする。そして、紆余曲折の末、その目標に到達された。だが、まだ6年目。本領発揮は正にこれから…。

 当選2回の中央区議・堀田弥生さんは更に経験を積んで、地元の発展のために尽力されるだろう。いつまでも、「顔の見える議員」であり、「最高の常識人」であり続けてほしい。

   
       2016年8月23日取材      管理人








   バックナンバーは下記の氏名をクリックして御覧下さい。

 第1回 文藝春秋社長/平尾隆弘氏(学19E)  2012年3月取材

 第2回 陶芸家/濱村(旧姓 木戸)祐子氏(学31E) 2012年10月取材
 第3回 レアメタルのトレーダー/西野元樹さん(学46P) 2013年4月取材
 第4回 透明水彩画家/若葉恵子さん(学30C) 2013年6月取材
 第5回 現代ロシア文学翻訳家/織田佳子さん(学25P) 2013年9月取材
 第6回 青山学院大学名誉教授/寺谷弘壬さん(学9P) 2014年1月・2月取材
 第7回 起業家/西尾義彦さん(学12EA) 2014年5月取材
 第8回 横笛奏者/松尾慧(大浦典子)さん(学25P) 2014年7月取材
 第9回 起業家/荻野正明さん(学14P) 2015年1月取材
 第10回 スペイン語翻訳家/荻内 勝之さん(修 H1) 2015年11月取材
 



                                                                sub100l.htm へのリンク
                                                      
                                
                              前ページに戻る


                                
                              トップ頁に戻る